「乾いたパンが一切れあって平穏なのは、ごちそうと争いに満ちた家にまさる。」箴言17章1節

「乾いたパンが一切れあって平穏なのは、ごちそうと争いに満ちた家にまさる。」箴言17章1節

この記事は教会のキッズに語った聖書メッセージです。

 

「乾いたパンが一切れあって平穏なのは、ごちそうと争いに満ちた家にまさる。」箴言17章1節新改訳聖書より

「平穏」っていうのは「安心」っていう意味です。乾いたパン一切れしか食べられないような貧しい家族でも「平穏」なら幸せです。「安心がある」家族なら幸せです。反対に「争いに満ちた家」つまり、「安心がない」家族は幸せな家族ではありません。たとえごちそうを食べることができるお金持ちの家族であっても、争いがあるなら、「安心がない」なら、幸せな家族ではありません。今週のみことばはそういう意味です。

この聖書にはどうすれば「平穏」な家族、「安心がある」家族になることができるのか、たくさーん書かれています。この世界を造った神様、イエス様を信頼して、聖書のみことばに従えば、必ず、「平穏」な家族になっていきます。「安心がある」家族になっていきます。

僕の家族は「安心がある」家族です。でも実は僕のお父さんは「安心がない」家族で育ちました。僕のお父さんは農家の長男。お金持ちの家で育ちました。ご飯を食べる時には、大きな長ーいテーブルにたくさんのごちそうがありました。だけど、僕のお父さんのお父さんお母さんと僕のお父さんのおじいちゃんおばあちゃんの仲が悪くて、よく喧嘩をしていたんです。まさに「ごちそうと争いに満ちた家」で僕のお父さんは育ったんです。だから僕のお父さんは小さい頃からずーっと自分が結婚したら、「平穏」な家族、「安心がある」家族にしたいな。って思っていました。それで高校生の時に教会にはじめて行って、イエス様を信じました。どうすれば「安心がある家族」になるのか聖書を通して、分かりました。同じ教会にいた素敵な女性と結婚しました。僕のお姉ちゃんが生まれました。僕のお姉ちゃんが生まれた頃、お父さんはサラリーマンの仕事を辞めて、家を出て、牧師になるために学校に入りました。仕事を辞めたから貧乏になりました。お母さんがパートで働いてなんとか生きていました。めちゃめちゃ安いアパートに住んで、パン屋さんでパンの耳をもらって食べていました。それから何年か経って僕が生まれました。僕のお父さんは、僕が生まれる時には茨城県のつくば市っていうところで牧師をしていました。一番貧しかったのは、僕が幼稚園、小学校のときでした。その時は、パンの耳を食べてた時よりももっと貧しかったんです。でもその時の僕は自分の家が貧しいっていうことに気づいてませんでした。自分の家が最高の家だと思ってました。そして大人になって振り返ってみても、やっぱり最高の家だったと思ってます。確かに貧しかったんです。でもお父さんとお母さんはこの世界をつくった神様を信頼していたから安心があったんです。お父さんお母さんは僕と過ごす時間、遊ぶ時間をめちゃめちゃ大切にしてくれたから安心があったんです。お父さんとお母さんは聖書のことばに従って僕をしつけてくれたから安心があったんです。

この世界を造った神様、イエス様を信頼して、聖書のみことばに従えば、必ず、「平穏」な家族になっていきます。「安心がある」家族になっていきます。続けて教会に来てイエス様のことを知ってほしい!そう思います。

「乾いたパンが一切れあって平穏なのは、ごちそうと争いに満ちた家にまさる。」箴言17章1節新改訳聖書より

 

THANK YOU FOR READING.


投稿者:

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伊藤 走

伊藤走(イトウソウ) 自称ハッピーな神学生

「「乾いたパンが一切れあって平穏なのは、ごちそうと争いに満ちた家にまさる。」箴言17章1節」への2件のフィードバック

  1. 素晴らしい
    走くんのブログには、神様の愛がいっぱい詰まってる。
    ハレル!ハレルヤ!

    1. オサムさん!
      ブログ読んでいただきありがとうございます。

      今週日曜、オサムさんにデザインして頂いた新しいバッチ発表して、めちゃ盛り上がりました╰(*´︶`*)╯
      ハレルヤ!

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