大丈夫じゃなかったけど大丈夫になったAちゃんの話

お使いの機種によっては下のYouTube(賛美歌)を聴きながら、読むこともできます。

 

私の所属教会では今年の9月からキッズ向けのプログラム(毎週日曜午後3時)をしています。

今日(12/30)は2018年最後のプログラムでした。初参加の子も来て盛り上がりハレルヤでした。

 

ねんまつジャンボあみだくじ

 

9月にスタートして以来、毎週参加者が導かれたことは驚くべきことです。神様の恵みです。心から神様に感謝します。

今日は聖書の「キリスト・イエスは罪人を救うために世に来られた」(第1テモテ1章15節)という言葉(今月のみことば)から聖書メッセージを語りました。キッズ向けに用意した聖書メッセージですが、以下にそのまんま掲載します。(今回の記事は自由にコメントを残せるようになっています。読み終わったら、この記事の下の部分にぜひ何か、例えば「Good morning.」でも構いませんので、コメントしてくださいませ。)

 


「キリスト・イエスは罪人を救うために世に来られた」第1テモテ1章15節

 

このみことばに罪人って書いてあります。罪っていうのは悪い心です。嘘をついたり、悪口を言ったり、わがままになったり、心の中で誰かを憎んだりすることです。つまり罪人っていうのは、僕たちのことです。でもイエス様はそんな僕たち罪人を救うため、助けるため、この世界に来てくれました。イエス様は神様なのに人間になってこの世界にきてくれたんです。このみことばはそういう意味です。

僕が小学校の時、学校の帰り道に危ない場所がありました。道路の右も左もどっちとも田んぼなんだけど、道路から田んぼを見ると、田んぼがすごく低いところにあったんです。ある日、その道路から、小さな女の子、Aちゃんが落ちてしまいました。Aちゃんは一生懸命登ろうとして、ジャンプするんだけど、小さいから上に全然届かなくて、上がれません。足は泥にズボズボハマって、夕日は沈んでいきます。その時!「大丈夫か!」上から声がします。Aちゃんが上を見上げると、そこに一人の男の人が立っていました。実は、僕のお父さんがたまたまそこを通って、心配して「大丈夫か」って言ったんです。

さて、突然ですが、ここで問題です。この時、Aちゃんは僕のお父さんに向かって何て言ったのでしょうか。次の3つから選んでください。

 

「大丈夫か?!」に対して、「大丈夫です。自分でなんとか上がるんで、大丈夫です。ほっといてください。」と言った。

「大丈夫か?!」に対して、「1時間待ってください。あと1時間頑張れば、自分で上に上がれるかもしれません。頑張ります。」と言った。

「大丈夫か?!」に対して、「助けてください。今すぐ私を助けてください。」と言った。

③だよね。全然大丈夫じゃないよね。Aちゃんは、自分じゃどうすることもできなかったよね。今すぐ、助けてもらう必要がありました。

みんながAちゃんだったら、どうする。「あ、大丈夫です」って答える?答えないよね。「今すぐ助けてください」って言うよね。でもさ、僕たちはイエス様に向かって「あ、大丈夫です」って言ってないかな。「自分の罪、自分の悪い心は自分でなんとかするんで、大丈夫です。」そう言ってないかな。きっと言ってる。そう思ってしまうのが僕たち罪人です。「いやでも、僕そこまで罪人じゃないし、悪い人じゃないし、あの人の方が全然罪人じゃん。あの人の方が全然悪いことしてるじゃん、深いところにいるじゃん。僕は大丈夫っしょ。」そう思っちゃうのが僕たち罪人です。でも僕たちは全然大丈夫じゃないよ!聖書のことばを読むと、「僕は大丈夫じゃない」そう気付かされます。聖書には「兄弟を憎む者はみな、人殺しです。」って書いてあります。兄弟を憎む者は、友達を憎んだ者は、皆人殺しなんです。聖書のことばを読むと、自分がどれだけ罪の泥でまみれているのかってことが、大丈夫じゃないのかってことがわかります。心の中で誰かを憎むと、コンチクショーって思うと、自分の心はどんどん暗くなっていきます。僕たちは自分の罪を自分の力で止めようと思っても、やめられない。自分の罪に自分で勝つことはできないんです。

でも聞いて。ここ(聖書)に良い知らせがある。ここに本当の良い知らせがあります。「キリスト・イエスは罪人を救うために世に来られた」んです。イエス様は罪で苦しんでる僕たちを救うため、助けるために来てくれたんです。イエス様は僕たちを罪から救うために、助けるために十字架にかかりました。苦しい十字架の上で地獄の罰を僕たち罪人の代わりに受けてくれました。イエス様は十字架で苦しんで、死んで、生き返ったんです!イエス様が僕たち罪人の代わりに死んで生き返ったっことを信じるなら、神様は僕たちの罪を赦してくれます。本当は大丈夫じゃなかった僕たちに「大丈夫」って約束してくれるんです。そしてイエス様は僕たちの心をつくりかえてくれます。愛すること、親切にすること、喜ぶこと、できるようになっていきます。感謝すること、尊敬すること、信じること、我慢すること、できるようになっていきます。自分の力じゃできなくても、イエス様と一緒ならできます。イエス様と一緒なら喜べます。愛せます。僕たちは死ぬまで、完璧な人にはなれません。でもイエス様に頼って完璧を目指すことができます。イエス様を信じてイエス様に頼って、生きていきていくことができます。イエス様はもう一回この世界にやってきます。そのときイエス様を信じた人、頼った人は完璧に罪ない、完全に大丈夫な体に変えられます。その日を目指して生きていこうよ。イエス様と一緒にその日を目指して生きていこう。

最後にみことばを読んでお祈りします。

「キリスト・イエスは罪人を救うために世に来られた」第1テモテ1章15節

 


 

THANK YOU FOR READING.


投稿者:

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伊藤 走

伊藤走(イトウソウ) 自称ハッピーな神学生

「大丈夫じゃなかったけど大丈夫になったAちゃんの話」への6件のフィードバック

  1. 感動的なメッセージでした。
    例話で引き込まれました。
    ガチな伝道メッセージですね。

    1. 最後まで読んでいただいた上にコメントまでしていただき超絶嬉しいです。
      ありがとうございます。
      この例話、実は実話です。

  2. 印象に残った言葉として、「イエス様に頼って完璧を目指すことができます。」とありました。
    私たちの力だけでは完璧を目指すことはできませんが、イエス様により頼むことによって不可能は可能になります。
    その事実を受け止めたいと思いました。

    1. 初めまして。伊藤です。
      最後まで読んでいただいた上に、コメントまでしていただきすごく嬉しいです。ありがとうございます。
      そして「イエス様により頼むことによって不可能は可能になる」という素敵なお言葉!ありがとうございます。

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