遺産を残したいクリスチャンのマスト本「レガシー~遺産~父から子どもたちへの10の贈り物」

遺産を残したいクリスチャンのマスト本「レガシー~遺産~父から子どもたちへの10の贈り物」


 

スティーブン J.ローソンの「レガシー ~遺産~ 父から子どもたちへの10の贈り物」を読みました。クリスチャンの父親への聖書の原則に則った勧めが、具体的に書いてあります。著者スティーブンの経験談なども多くとても読みやすかったです。

 

 

本書で著者スティーブンはエペソ6章4節とその前後にフォーカスして、霊的遺産について考察します。霊的遺産とは、次の世代にもっとも大切なことを引き継ぐことです。つまり、イエスキリストに対する信仰と、永遠の御国における中心的な価値観のことです。もっとわかりやすく言うなら、それは、私たちの子どもから何代も後の子孫に対して、私たちの信仰の影響を及ぼすことなのです。

そして本書のタイトルに「父から子どもたちへ」とあるように、本書の中心的みことばとも言えるエペソ6章4節は、父親に宛てて記されたみことばです。

父たちよ。自分の子どもたちを怒らせてはいけません。むしろ、主の教育と訓戒によって育てなさい。(エペソ6章4節)

これは父親と母親に対してではなく、父親だけに言われていることばです。それはなぜでしょうか。なぜなら、みことばによれば、私たち男性は家庭において霊的指導者となるように召されているからです。私たちは自ら進んでその立場に立つのでも、また選ばれて立つのでもありません。そうではなくて、私たちは、主ご自身によって、私たちの家族の長となるよう任命されているのです。ですから、私たち父親は、家庭において、子どものために霊的財産を整え、引き継ぎ、それを守る責任があります。私たちは、大切な価値観を次世代に遺すよう、神によって選ばれた存在なのです。ということで、本書は「父親専用」とまでは言いませんが、父親に読んでほしい内容であるとともに、やがて父親となる私にとってはとても教えられ、インスパイアされる内容でした。

本書では、タイトル(「レガシー ~遺産~ 父から子どもたちへの10の贈り物」 )に「10の贈り物」とあるように、第3章~第12章の各章で以下の「10個の遺産」を紹介しています。

①敬虔という遺産 ②愛という遺産 ③従順という遺産 ④尊敬という遺産 ⑤柔和さという遺産 ⑥成熟という遺産 ⑦しつけという遺産 ⑧神の知恵という遺産 ⑨責任という遺産 ⑩力という遺産

 

私は今回本書を読んでみて、特に、⑨の「責任という遺産」について書かれている第11章「労働の大切さ」から教えられました。「労働」に対する姿勢をもっとハイレベルにしていかねば!と気づかされたのです。

 

第11章から抜粋↓

わたしたちは、父親として、一生懸命働くことの価値を教えなければなりません。働くことから免れようとするよりも、責任という遺産を子どもに残すべきです。労働という言葉があまり良い印象を与えない今日において、一生懸命働くことは、避けなければならない呪いなどではなく、追い求めなければならない美徳であることを子どもたちに教えなければなりません。また、私たちは子どもたちに働くよう指示するだけでは不十分です。私たち自身が子どものそばで働き、私たちの姿を通して、一生懸命働くことの素晴らしさを示さなければならないのです。(P298)

 

第11章の中心聖句↓

奴隷たちよ。キリストに従うように、恐れおののいて真心から地上の主人に従いなさい。ご機嫌取りのような、うわべだけの仕え方ではなく、キリストのしもべとして心から神のみこころを行い、人にではなく主に仕えるように、喜んで仕えなさい。エペソ6章5節~7節

 

この箇所は直接的には父親に宛てて書かれたわけではありません。しかし、すべての父親が子どもに伝えなければならない真理がここにある!と本書の著者は言います。というのも、これらの言葉は新約聖書において子育てに関する中心的なメッセージが記されたエペソ6章4節の直後に書かれたものだからです。ですから、これらの言葉は父親にとって特別に重要なものです。この箇所によるなら、労働は神が私たちの益となるように与えてくださったもので、労働そのものには価値があります。私たちの労働は、ほかのあらゆる霊的訓練と同じように、キリストに対して行うものなのです。以前、ティモシーケラーの著書「この世界で働くということー仕事を通して神と人とに仕える」を読んで「労働の素晴らしさ」に関する数々の聖書的根拠に目が開かれました。その頃から仕事をはじめる前に惣菜丸走の全パートナーと共に祈ることをしています。意識的に仕事を感謝し、喜びをもって働いています。しかし、今回改めて自分に子供ができたときのことを想定して、この聖書の原則を考えてみると、自分の足りなさに気づかされました。それは、日常生活の中にある数々の「小さな労働」に対する自分の姿勢です。惣菜丸走での労働だけではなく、日常生活にあるあらゆる労働(ゴミ捨て、掃除、洗車…)を主に対してするように変えていかなければと思わされたのです。私が幼いころ、父は定期的に庭にいる蜘蛛を除去するために外を見回っていました。(通称「クモ退治」)私はよくその父についていったものです。きっと父はその「小さな労働」を嫌々していなかったのでしょう。私がついて行きたくなる姿勢だったのです。私も、「小さな労働」をするときに意識的に「主に対してするように」と思い返し、将来私のゴミ捨てに子どもがついて来たくなるような姿勢にしていかねばなりません。他にもたくさんある小さなことを、意識的に「主に対してするように」していきます。

 

Q「神様に私の生活における小さなことについて祈っても良いのでしょうか。」 A「神様にとって、大きなことなんて存在するのでしょうか?」
Q「神様に私の生活における小さなことについて祈っても良いのでしょうか。」 A「神様にとって、大きなことなんて存在するのでしょうか?」

 

最後に、とても印象深かく、インスパイアさせられたストーリーを転載します。第13章「ひざまずいて祈るとき、もっとも力を発揮するー祈りによって遺産を確かなものとするー」に書いてあるジョージ・マクラスキーという方のストーリーです。

 

結婚したばかりの若い頃、ジョージ・マクラスキー氏は、まだ生まれていない子どものために、毎日1時間祈ることにしました。子どもがキリストを個人的に知るようになり、主と親しく歩むように祈ったのです。やがて、ジョージは祈りの対象を広げ、未来の孫やひ孫たちのためにも祈ることにしました。神は、その祈りに、驚くべき方法で応えてくださいました。ジョージの娘は二人とも、自分の人生をキリストにささげる決心をし、フルタイムのミニストリーに献身している男性と結婚しました。二組の夫婦からは、四人の女の子、一人の男の子が生まれましたが、女の子は全員伝道者と結婚し、男の子も牧師となりました。しかし、ジョージ・マクラスキー氏の祈りの力はそこで終わらなかったのです。次の世代に生まれた最初の二人の子どもたちは、男の子でした。その子たちが高校を卒業すると、二人(互いに従兄弟同士)とも同じ大学に進み、同じルームメイトとなりました。大学二年になると、そのうち一人は直接献身の道に進む決心をしました。もう一人は別の道を歩むことにしました。彼は他の家族とは異なる道を選んだことで、多少のプレッシャーを感じたようです。彼が選んだのは、心理学を研究する道でした。この青年は博士号を取得し、子育てに関する本を書き、その本はベストセラーとなりました。彼は牧師にはなりませんでしたが、ラジオ番組を通して聖書の教えを伝え続け、その番組は、毎日一千ものラジオ局を通して何十万人もの人々に届けられました。今日、彼は、世界中の家族に影響を及ぼしています。

…彼こそが、ジェームズドブソンです。驚くべきことに、ジョージ・マクラスキー氏の祈りは何度にも渡って聞かれたのです。その祈りは、四世代にも渡って影響を与えただけでなく、世界中の家族にも影響が及びました。ジョージ・マクラスキー氏がひざまずいて祈ることによって、彼の家族への遺産は備えられ、伝えられ、守られたのです。彼が身をかがめてひざまずいた時、もっとも偉大な力を発揮したのです。(P360より)

 

このストーリー、本当に感動しました。私にはまだ、妻がいませんが、やがて導かれると信じます。そしてやがて共に生きる私の妻と子どもたちが私の100倍祝福されるように、その祝福がイエス様が再び来られるまで続くように祈り続けます。父が私のために100倍の祝福を祈っていたことを知っているからです。

 

あらゆる祈りと願いによって、どんなときにも御霊によって祈りなさい。そのために、目を覚ましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くして祈りなさい。エペソ6章18節

 

 

THANK YOU FOR READING.

 

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伊藤 走

伊藤走(イトウソウ) 自称ハッピーな神学生