私は何を祈り求めるべきなのか。韓国釜山にて。(2つの翼国際カンファレンス)

私は何を祈り求めるべきなのか。@韓国釜山


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先日ファミリーで、「2つの翼国際カンファレンス」へ参加するために韓国釜山へ行ってきた。

「神の小屋」聖書の真理をわかりやすく読むことができます。
この本、なかなか面白い。

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韓国釜山のスターバックス

「二つの翼国際カンファレンス」@韓国釜山

完全に仕事(1月はSISOMAKIの売り上げが落ちるので休むチャンスなのです)を休んで、大好きな教会とスターバックスで4日間過ごした。

カンファレンスでとてもインパクトがあったのは、「祈り」。

聖書メッセージ前後の、「祈り」の長さといったら!(笑)

2000人以上いるであろう全員がしばらく大声で祈り続ける。

あ。終わったな。

会場全体が静まり返って、司会者の方の祈りの声だけが響き渡る。

祈りこそ、クリスチャンの仕事。祈りこそクリスチャンの使命。
祈ろう!!祈ろう!!

すると、司会者の方が韓国語で叫ぶ。

祈りましょう!

このサイクルがしばらく続く。

聖書メッセージ前後に、こんなに長く熱く祈る経験は初めてだった。

韓国の方々の熱い祈りを通しても、語られた聖書メッセージを通しても、私にとって最も大切にするべきは3つあると学んだ。

祈り。

祈り。

祈り。

神様と私の関係こそ、私が神様に語りかけることができ、神様に耳を傾けることができる関係こそ、この世の何よりも重要。

その全ては「祈り」という項目の中に包み込まれてる。

確かに神様は祈りを聞いてくださっている。

イエス様の恵み(ヘブル10:19)によって、祈ることができる。

1つ、難しいのは、何を祈り求めるべきなのか。ということ。

正確には何を「ふさわしいほど」に、ある特定の時期に必要な分だけ祈り求めるかということ。

私は弱い。

そのため、自分にとって何が最善であるか、必ずしも分かっていないので、間違ったものを祈り求めかねない。

聖書に登場する偉大な大先輩方も、そのミステイクを犯してきたことがロイドジョンズさんの本に書いてあった

申命記3章23節〜25節にモーセの祈りが書いてある。

私はそのとき、主に懇願して言った。

「神、主よ。あなたは、あなたの偉大さとあなたの力強い御手を、このしもべに示し始められました。あなたのわざ、あなたの力あるわざのようなことができる神が、天あるいは地にいるでしょうか。どうか私が渡って行って、ヨルダン川の向こう側にある良い地、あの良い山地、またレバノンを見られるようにしてください。」

モーセは神様の数々のわざを賞賛し、自分に対する神様の取り扱いに感謝し、嘆願した。

だけど、そのあとの26節には次のように書いてある。

しかし主はあなたがたのゆえに私に激しく怒り、私の願いを聞き入れてくださらなかった。主は私に言われた。「もう十分だ。このことについて二度とわたしに語ってはならない。」

神様はモーセを沈黙させた。

モーセは間違ったものを求めた。

申命記3章23節〜25節にモーセの祈りが書いてあります。 「私はそのとき、主に懇願して言った。」「神、主よ。あなたは、あなたの偉大さとあなたの力強い御手を、このしもべに示し始められました。あなたのわざ、あなたの力あるわざのようなことができる神が、天あるいは地にいるでしょうか。どうか私が渡って行って、ヨルダン川の向こう側にある良い地、あの良い山地、またレバノンを見られるようにしてください。」
先人に学ぶ

2コリント12章。

「私は肉体に一つのとげを与えられました。…私から去らせてくださるようにと、私は三度、主に願いました。」

パウロは、肉体のとげのせいで困難な状況にあった。そこで人間的な理性の見地からすれば、極めて自然な行動をとった。

祈った。

3度も祈った。

パウロは、この障害によって自分の活動に不具合が生じ、「効果的な働きが妨げられている。」と感じた。それは明らかに不都合な事態だった。

なので、パウロはこのとげを取り除いてくださいと主に3度祈った。

だけど、神様はパウロにそのような祈りをやめるよう告げられる。

その肉体のとげは残ることになる。

そこで、パウロは自分を霊的な視点から眺め、主のお取り扱いが正しいと悟る。

パウロはこのとげを取り除いてくださいと主に3度祈った。 だけど、神様はパウロにそのような祈りをやめるよう告げられる。
弱さを通して、多くを成し遂げてくださる主

私は何を祈り求めるべきなのか。

私は必ずしも自分にとって最善のものを祈り求めていない。私が良いだろうと考えていることは、私の害となりえる。モーセでもパウロでもそうなのだから。

もちろん700%最善の祈りがある。

韓国から帰ってくる新幹線で、姉が聖書を読みながら一生懸命聖書の言葉を書いていた。

何を書いてるのかと思ったら、姉は嬉しそうに教えてくれた。

ヨハネ3:16だけではなく、聖書のいろいろな箇所で、「神様は人類の誰一人として滅びることを望んでいないことがはっきり書かれてる。」ということだ。

私のおじいちゃん、おばあちゃん、友人、知人、がイエス様とともに生きるようになることは700%最善の祈り。

神様と心が一つになった祈り。(私の祈りの動機やプライド、エゴ等はいつも悔い改めつつ、へりくだって祈らねばなりません)

だけど、聖書には「どこどこで仕事をしなさい。」「誰々と結婚しろ!」とか具体的に書かれてないことが多く存在する。

私は何を祈り求めるべきなのか。

私は、あれこれのことを願い求める。

そのことに関して、神様は「もう二度とわたしに言ってはならない。」、「わたしの恵みは、あなたに十分である。」と仰せになるかもしれない。

でも、だからこそ、私がなすべき最大の事柄は「祈り」「祈り」「祈り」だ。

「朝の祈り」のあの時間だ。

朝、全身全霊でそこにいることだ。

1日を主とともに過ごす決意をすることだ。

偉大さ、力、輝き、栄光、威厳は、主のもの。天にあるものも地にあるものもすべて。すべて主のもの。

SUNX FOR READING.


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伊藤 走

伊藤走(イトウソウ) 一番好きな歴史上の人物はイエスキリスト