苦しみとは|聖書の話

苦しみとは|聖書の話


聖書の話をしていると「神が愛であるなら、なぜ、この世界には多くの『苦しみ』があるのか?」といった意味の質問をされることがあります。

日本の学校で教えらている「進化論」は、一切のものが進歩、発展、前進しつつあると主張します。「人間の現在の状態は、まだ中間的な状態でしかない。」「物事が今のようなあり方をして、「苦しみ」があるのは、まだ特定の発展段階までにしか前進していないからなのですよ。」というように。

しかし、「聖書」の主張は「進化論」とは違います。

正反対です。

聖書によれば、一切合切は、原初の完璧な状態から現在の状況へと下落してしまったのです。世界が今のような状態にあるのは、まだ発展が不完全なためではなくて、神が呪いを下されたからです。神から下ったその呪いは、人間が自分の愚かさと反逆と罪のゆえに受けた罰の一部だったのです。

このことは聖書の一番最初、創世記を読むとわかります。以前、記事にしたこともありました。↓

 

地獄は存在する

 

NYに本社を構えるニューズウィークが「21世紀のCSルイス」と称した、ティモシーケラーがTweetしたように、「苦しみは、この世界が本来あるべき姿でないことを思い起こさせるもの」なのですね。

 

新興宗教は「信じれば、今すぐ何の厄介ごともなくなる」という風に、「苦しみ」からの救いを教えます。

聖書はそうではありません。

「私たちが神の国に入るには、多くの苦しみを経なければならない」聖書:使徒の働き14章22節

と宣言しています。

私は聖書を神の言葉と信じていますが、何か「苦しみ」があると、

「何で?!」

と考えるものです。

ですが、私はクリスチャンとして、この世で自分にどんなことが起こっても、驚くべきではありません。大学の頃、ボクシングチームの仲間の一人がよく「宗教ジジイ!」と悪ふざけで呼びかけてきました。笑(宗教でも、ジジイでもないし。笑)聖書によれば、「宗教ジジイ!」と馬鹿にされることは、喜びおどるべきことです。

「わたしのために、ののしられたり、迫害されたり、また、ありもしないことで悪口雑言を言われたりするとき、あなたがたは幸いです。 喜びなさい。喜びおどりなさい。」イエスキリスト(聖書:マタイ5章10節〜)

もし私がクリスチャンとしてのライフスタイルを貫く決意ゆえに、迫害されたとしても、笑い者にされても、馬鹿だと思われても、非難されても、悪意を向けられても、驚くべきではないのです。それこそ、イエスキリストが受けてくださった仕打ちであり、私は主と「苦難をともにしている」(聖書:ローマ8章17節)者とされているのですから。

 

「あなたがたは、世にあっては患難があります。」イエスキリスト (ヨハネ16章33節)
「あなたがたは、世にあっては患難があります。」イエスキリスト (ヨハネ16章33節)

 

ジョン・バニヤンは12年間投獄されて、名作「天路歴程」を書きました。彼は牧師であり、聖書について説教しないことに同意したのであれば出獄できたでしょう。妻や子供達は彼を必要としていました。娘の一人は目が不自由でした。それは「苦しい」決断でした。

「獄につながれて妻子と別れていることは、私の骨から肉をむしり取るほど苦しかった。」ジョン・バニヤン

ジョン・バニヤンは、「苦しみ」にとどまるとしても、「苦しみ」から逃げるにしても、クリスチャンは自由であるとして、次のように述べています。

「逃げようとしてもよいのだろうか。このことでは、あなたの考えるようにしてほしい。もし逃げようと考えるのなら、逃げよ。とどまろうと考えるなら、とどまれ。真理を拒むこと以外はなんでもせよ。逃げるに人にはそうする理由があり、とどまる人にはそうする理由がある。確かに、同じ人が神の召しとその心における神の働きによって、逃げることもとどまることもある。モーセは逃げた、出エジプト2.15。モーセはとどまった、ヘブル11.27。ダビデは逃げた、1サムエル19.12。ダビデはとどまった、1サムエル24.8。エレミヤは逃げた、エレミヤ37.11~12。エレミヤはとどまった、エレミヤ38.17。キリストはご自身退かれた、ルカ9.10。キリストはとどまられた、ヨハネ18.1~8。パウロは逃げた、2コリント11.33。パウロはとどまった、使徒20.22~23。…… この件に規則はほとんどない。自らの現在の状況について、とどまるためにまたは逃げるためにこの論拠またはあの論拠が心にどれほどの重みを加えるかをもっとよく判断できるのは、その人自身である。…奴隷的恐れのゆえに逃げるのではなく、逃亡が神の命令であり、ある者たちの脱出のための扉を開き、その扉が神の摂理によって開かれるものであり、その脱出が神のことばにより支持されているから逃げよ。マタイ10.23。…それゆえ、もしあなたが逃げて捕らえられるなら、神や人に腹を立ててはならない。神に腹をたてるなというのは、あなたはこの方のしもべであり、あなたのいのちとあなたの全てはこの方のものだからである。人に腹を立てるなというのは、人は神の杖にすぎず、このことにおいて、あなたのためになることをするように神によって定められているからである。あなたは逃れたのか。笑え。捕らえられているのか。笑え。すなわち、物事がたとえどちらの方向へ行こうとも喜べということである。秤は今でも神の御手のうちにあるのだから。」

この世にあっては、「苦しみ」が終わることはありません。家族・人間関係、教会、職場、お金、…

私は、イエスキリストが人類史上、他の誰よりも苦しんでくださったこと、やがて全てが回復されることを理解する時、今の時の「苦しみ」を喜びおどることができるはずです。

 

「ありもしないことで悪口雑言を言われたりするとき、あなたがたは幸いです。 喜びなさい。喜びおどりなさい。」イエスキリスト
「ありもしないことで悪口雑言を言われたりするとき、あなたがたは幸いです。 喜びなさい。喜びおどりなさい。」イエスキリスト

 

今の時のいろいろの苦しみは、将来私たちに啓示されようとしている栄光に比べれば、取るに足りないものと私は考えます。(聖書:ローマ8章18節)

 

神のことばに支持されていることの確信を頂いて、今の時のいろいろの「苦しみ」から、逃げることが、とどまることが、できますように。主にあって喜びおどりつつ…

 

今回の記事は以下の本を参考にしました。


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伊藤 走

伊藤走(イトウソウ) 好きな場所は教会とスターバックス。