クリスマスはまだ終わってない。毎日がクリスマス。


 

約2000年前の12月25日。イエスキリストは誕生したのか?

 

クリスチャンの土台、「聖書」には12月25日にイエスキリストが生まれたとは書いてません。

 

イエスキリストの誕生は、7月だという学者もいるし、9月だという学者もいます。

 

12月がイエスキリストの誕生ではないと言う方の多くは、イエスキリストの誕生時に「野で羊飼いたちが番をしていた」という聖書の記述から、12月に野宿するはずがないというものです。

 

イエスキリストの誕生した街ベツレヘムの12月の気温はそこまで低くなく、野宿は可能だったと考える方もいます。

 

もしかしたら、イエスキリストの誕生は12月25日だったかもしれないし、そうではないかもしれません。

 

もしかしたらあなたの誕生日と同じかも。

 

クリスマスは元々は異教の祭りでした。(太陽神を祭る祝祭日だった)

 

その異教徒にイエスキリストを伝えるためにできたのが今のスタイルのクリスマスです。

 

クリスマスの語源は、Christ(キリスト)とmas(ミサ=礼拝)。

 

キリスト礼拝。

 

とにかく、今のクリスマスの主役はサンタクロースではなく、イエスキリストです。

 

イエスキリストは約2000年前に、神であられるのに、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられました。人としての性質をもって現れ、自分を卑しくし、死にまで従い、最も残酷な処刑方法十字架の死にまでも従われました。

 

クリスチャンは、イエスキリストが人となってこの世界に来てくれたこと、私たちの罪に対する神の怒りの身代わりとなるために、十字架で死んで復活してくださったこと。そのことを信じるだけで、罪がゆるされることを信じています。

 

ある人は言います。

 

「小さな点では相違があると思うが、核心部分では私たちは同じものを信じているのだ。」

 

「神(あるいは神と呼ぶもの)が山の頂上にいて、全ての宗教はその山のふもとにいる。ある人は1つの道を上り、ある人は別の道を上る。最後には同じ場所に到着する。宗教はそのようなものではないですか?」

 

クリスチャンは言います。

 

「山の上におられる神が私たちのいるふもとまで下りて来られたとしたら、どうでしょう。神は私たちが神に到達する道を見つけるのを待たずに、神の側から私たちに近づいて来られたらどうでしょう?」

 

それが、神様です。

 

人間のために自ら来てくだる神様。それがイエスキリストです。

 

人間のために死ぬ神様。それがイエスキリストです。

 

『救い』を神に到達するために四角の中にチェックを入れることのように考えている限り、世界の宗教の無意味な渦の中に巻き込まれてしまいます。

 

クリスチャンは、自分が不道徳で、罪に死んでいて、神の怒りを受けて当然であること、自力でそこから抜け出すことはできないと認めています。

 

イエスキリストが必要と知っています。

 

私たちが本当に必要としている存在。JESUS

イエスキリストは私たちの罪に対する神の怒りを全て、自分の身に負うために誕生してくださいました。

 

復活することで罪に対する勝利を宣言されました。

 

イエスキリストを信じる全ての人が永遠に神と和解するために。

 

イエスキリストを礼拝することがクリスマスなのであれば、毎日がクリスマス。

 

イエスキリストを知らない人々にイエスキリストのクレイジーラブを伝えることがクリスマスの目的なのであれば、毎日がクリスマス。

 

街中のクリスマスソングが止んでも、スターバックスの紙コップが赤色で無くなっても、夏休みでも、毎日がクリスマス。

 

今日もクリスマス。

 

イエス様。いつもありがとう。

PLEASE BELIEVE JESUS’S LOVE.

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投稿者:

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伊藤 走

伊藤走(イトウソウ) 自称ハッピーな神学生