生きる希望は聖書の言葉にある。

生きる希望は聖書の言葉にある


ある心理学者の研究によると、人間は食べ物に関する判断(食べようか、食べまいか、)を1日に200回以上しているといいます。

食べ物がたくさんあるおじいちゃの家に住ませてもらってる私は、おそらくその2倍位以上、食べようか、食べまいか、判断していると思います。

 

さらに、人は何か「食べない」と決めると、そうする前より、1、5倍「食べたく」なり、結果いつもの2倍食べてしまうといいます。

 

私は今この繰り返しで痩せることができないんです。

 

私は大学時代、自分の身体を極限まで絞り、数週間で7キロ落としていました。

 

体から水分を抜くので、ものすごく喉が渇きます。手もカサカサになります。

 

毎日「食べない」選択と「飲まない」選択。そして、ハードなトレーニングを続けました。

 

心理学的に不可能なこのことがなぜ可能だったと思いますか?

 

それは、希望があったからです。

 

計量が終わったら、たくさん食べて、たくさん飲んで、試合に勝利して栄光を掴むことができる。

 

その希望があったから、辛い道を選び続けることができました。

 

しかし、神様はそれとは比べ物にならない希望を今から20年前に私にプレゼントしてくれました。

 

今もその希望を目指して一心に走っています。その希望があるから、生きる意味がわかります。

 

天国に行けるという希望です。

 

死んだら天国に行けるという希望です。

 

それは、イエス様のうちにある希望です。

 

1979年。アメリカで歴史上最も尊敬できる人物について調査したことがあります。

 

1位はイエスキリスト、2位はリンカーンでした。

 

イエス様は約2000年前に実在しました。

 

イエス様は神であられる方なのに、神のありかたを捨てることができないとは考えないで、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたのです。

 

イエス様は人としての性質をもって現れ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われたのです。

 

神は、キリストを高く上げて、全ての名にまさる名をお与えになりました。

 

それは、イエスの御名によって、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるものの全てが、ひざをかがめ、すべての口が、「イエス.キリストは主である。」と告白して、父なる神がほめたたえられるためです。

 

今から20年前、私はイエスキリストが自分の救い主であることを信じました。

 

イエス様が私ののために、十字架で死に、三日目に蘇ってくださったことを信じました。

 

自分のを悔い改めて、このことを信じるだけで、天国の切符を手に入れるとができるという、神様の大きすぎるプレゼント、大きすぎる希望を信じました。

 

今も、確信を持っています。

 

この希望は100%真実の希望です。神様の言葉である、聖書に記されているからです。

 

私の家族のルールは、聖書が土台で揺るぎません。

 

家族の中心はいつだって聖書に書いてある真実の神様です。

 

印刷機を発明したのは、ドイツのグーテンベルクです。

 

彼の印刷機を使って最初に印刷されたのは、聖書です。それ以来、いつの年にも聖書は世界のベストセラーです。

 

去年のベストセラーも、今年のベストセラーも聖書です。

 

聖書は66巻の書物からなっています。

 

聖書の一番古い部分は約3500年前に書かれました。

 

日本で最も古い古事記や日本書記は8世紀のものですが、聖書はそれが描かれる2200年も前に既に書き始められていたのです。

 

聖書の一番新しい部分は、今から約2000年前に書かれました。

 

つまり聖書は約1600年かかって描かれたのです。

 

一口に1600年と言いますが、それは膨大な年です。

 

この日本で、武士の時代に終止符を打った明治維新から今日まで約160年しか経っていないことを考えると1600年という長さをある程度実感を持って考えることができると思います。

 

そして、この聖書は40人以上の人によって書かれました。

 

王様も、漁師も、医者も、役人もいました。

 

その人たちの多くは違った時代に、違った土地に住んでいたので、互いに連絡が取れなかったし、他の人が何を書いているのか知らなかったのです。

 

しかし、彼らは、書くべきことを神から示されて、神が掲示された通りに正確に書き記しました。

 

ここに非常に、不思議なことがあります。

 

このように、違った時代に違った土地の人がそれぞれ独立して書いたのにもかかわらず聖書には、完全な調和と統一性があります。

 

最初から最後まで、1つのテーマが貫いています。

 

そのテーマとはキリストによる罪の赦しです。

 

そして、矛盾が見つからないのです。

 

 

リンカーンは、「聖書は神様が人間にくださった最も素晴らしいプレゼントである。人間にとって望ましいものは全て聖書にある」と言いました。

 

ニュートンは「いかなる世界史におけるよりも、聖書の中には確かな真理が存在する」と言いました。

 

 

多くの電気製品を発明したトーマスエジソンは、「スイッチを入れなさい。聖書を読みなさい。」と言いました。

 

聖書の神様は、人間がつくった神様ではなく、人間をつくった神様です。

 

100%神の言葉である聖書によれば、人間の死後は天国か地獄です。

 

 

どちらかで永遠を過ごすことになります。

 

天国が私の想像よりもはるかに素晴らしい場所であるように、地獄も私の想像よりもさらに悪いところです。

 

 

聖書は地獄を自ら選ぶものとしてみなしています。

 

 

自分たちをつくられた方を神としないことを選ぶことによって、罪を好むことによって、自分自身で地獄を選んでいると聖書はいいます。

 

 

聖書によれば、私は罪人です。

 

私は自己中心的です。それは、罪の本質です。

 

私は自分を誇ります。それは罪です。

 

私は他人を恨んだり、妬んだりします。それも罪です。

 

私は情欲をもちます。それも罪です。

 

罪人な私は、本来は地獄です。

 

でも、この罪人に希望をくれたんです。

 

神様は聖書から私にいいます。
罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト.イエスにある永遠の命です。

 

もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。

 

人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。

 

聖書はこう言っています。「彼に信頼する者は、失望させられることがない。」

 

同じ主が、すべての人の主です。

 

主は、主を呼び求めるすべての人に対して恵み深い方です。

 

「主の御名を呼び求める者は、だれでも救われる。」のです。

 

本物の希望です。

 

今も聖書の言葉は生きていて力があります。

 

神様私たち全員に最高の将来と希望を持っています。

 

最高のイエス様を信じてみてください。

 

 

一人静まり、全てを支配しておられる方に向かって祈ってみてください。

 

 

「イエス様。あなたが今も生きてる本当の神なら私にわかるようにしてください。」

 

祈り続ければ、何らかの方法で神様は100パーセント答えてくれます。

 

100% Jesus


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伊藤 走

伊藤走(イトウソウ) 好きな場所は教会とスターバックス。

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